2011年3月11日金曜日

地震の日

幕張美浜区にあるビルの17階で、メッセンジャーで協力会社の人と不具合の対処についての調整をしながら、ノルマの特許明細書をやっつけていたとき、軽く揺れ始めた。

「最近多いなぁ」とか思っていたら、だんだん揺れが強くなってきた。
ビルは免震構造のせいもあってかよく揺れるのだが、これまでの揺れとは比でないものになる。
しかも時間が長くいつまでも収まらない。たぶん地上で揺れ終わっていたあとにも揺れていたに違いない。

しばらくしてまた揺れ始める。今度も長い。
おかげで船酔いのように気持ち悪くなってしまった。
窓から外を見ると周りのビルも揺れていた。


保安部から「地上は震度5,高層階は震度6」の放送が入る。
ただ揺れたわりには棚から荷物が数個転げ落ちたくらいで、被害はなかった。
しばらくすると保安部にいる知り合いがけが人の確認と設備の点検のためにあがってきたが、特に損傷もないとのことだった。
周りのビルは従業員を避難させているらしく、人が路上に集まっていた。
錦糸町にある協力会社は、会社の指示で避難をするとのことでメッセンジャーが切れる。

うちの会社も16:30に就業免除が出た。
とはいっても、JR各線、京成線はすべて止まっている。万が一復帰しても数時間以上はかかるだろう。Googleマップの徒歩経路案内で佐倉までの経路を検索すると、約20km 4時間16分とあったので、徒歩帰宅することにした。
自販機で水を買い、机の中のチョコレートと飴を持って外に出る。


やはり埋立地だけあって、ところどころ液状化していた。


ブロックの隙間や地面の亀裂から泥が噴出していた。


大通り側のほうがましかと思ったが事態は変わらず。
ただし、ここを越えたらあとは特に何もなく、淡々と歩き続けるだけだった。途中コンビニでトイレを借りつつ、おにぎりを買う。
石川文洋さんが日本縦断されたときの本にも書いてあったが、こういうときはコンビニは非常にありがたい。 普段は「どこにあっても同じでつまらん」とか言っているくせにね。
想定はしていたが、ケータイナビはシステムにつながりづらい状況でまともに測位できない。それでも地図がでればラッキーだ。会社で印刷したGoogleマップをメインに、現在地を把握したいときだけナビを立ち上げるようにした。

国道と県道はどこも動く駐車場状態だった。おかげで日がくれたもののびっしり並んだ車のヘッドライトで足元が明るいし、地図も読める。ただ、休む場所がない。飴をなめながら歩き続ける。

東関東自動車道千葉北IC あたりから高速沿いの側道にそって歩く。車通りは少なく真っ暗だ。側道は同じ側をずっと歩けばいいわけではなく、途中高速をわたる必要があるので、ケータイのGPSで現在地を確認しながら進むが、ここにきて地図がまともに表示できなくて困った。

高速の南側の側道に移ると、裏道としてよく使われているのか、車通りが激しくなってきた。センターラインがない2車線路で、かつこの時間は人が歩くことなんて誰も考えていない。何度か轢かれるかと思った。道路端はでこぼこしていて歩きづらい。革靴だったせいもあるのか、左足首をいためてしまったが、もくもくと歩く。

四街道ICが見えたときは、ようやく自分のテリトリーに入った気がした。
もっともここからさらに歩かねばならぬ。途中、車のライトに浮かびあがった道路の亀裂を見た。

会社を出てから4時間半後にようやく家にたどり着く。家の被害は本棚の本が落下していたことくらい。本棚には趣味のカメラも置いていたのだが、落ちた本の上に落下したせいか無事だった。なぜかライカIIIaとM4Pは棚に残っていたのが不思議だった。

※ 虎ノ門から成田まで(約60km)徒歩帰宅した人もいるとのこと。 本当にお疲れ様です。。。

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