2009年10月20日火曜日

組織(風土)と人事・教育


最近読んだ本3冊から。


 

「 海軍反省会」は、2009年8月にNHKで放送された「日本海軍 400時間の証言」で紹介された海軍反省会の第1回から第10回までの録音内容を文章化したもの。
話し言葉であり、多少言い回しがくどいところがあるため正直言って読みづらいが、当事者の生の声は非常に参考になる。

「海軍反省会」の初期に話されていたことは、NHKが取り上げた「開戦の経緯」でもなければ「特攻」でもない。ほとんどが人事と教育の問題である。なぜキーポジションにあのような人間を置いてしまったのか、なぜ海軍軍人、特に士官に有意の人物が育たなかったのかについて、繰り返し言及している。
「戦闘に強い人間を作るよりも、間違いのない人間を作ろうというところにね、問題があった」
「海軍内部では飛び抜けた人間はおってもらっちゃ困る」
「平均的な人間っていくことはね、言い換えれば、いわゆる能吏型でですね」

この本と平行しながら読んだのが、「海軍人造り教育」。旧海軍の「全人格触れ合い教育の方法を解明」とあったので読んでみたが、本当にこれでいいのかと考えてしまった
まぁ「卒業生に対する訓示」の章はいい。問題は「士官次室心得」。
第一 艦内生活心得
六、 犠牲的精神を発揮せよ、大いに縁の下の力持ちとなれ。

この点については「海軍反省会」では、例えば、
 「一面では忠君愛国教育をしていて、一面では誠に利己主義な生き方をするように仕向けてある。点取虫一点張りです。これはね、誠に利己主義だ。人の犠牲になれと教育しながら、自分さえ点数が良ければいいんだという教育だ。 」(p.234)
との記述がある。いくら表面で立派なことをいっても実際の評価がそれに伴わなければ、だれもやらない。今の会社の人事制度・教育制度も同じ問題を抱えているように思う。

士官次室心得ではいたるところで、
「命令には絶対服従」
「我をはるな」
「文句をいうな。定められたとおりどしどしやれ」
と教えており、そもそも議論を嫌う雰囲気が見られる。現在の組織学から見ると、もっともどうしようもない組織に堕落していく原因を推奨している。
海軍は、戦前、戦中とまともな議論をしなかった。それは3S(Smart, Steady, Silent)という海軍の美学だったのかもしれない。しかし人は建設的な議論の中でこそ、お互いに知恵を出し合える。

いたるところで上下関係をうるさくいっているのも気になるところだ。
時代背景と軍隊という特殊環境のせいかもしれないが、士官になって数年以内ならまだしも10年以上ともなると、1年、2年の差というのはそれほどなくなる。むしろ1日1日を真剣に生きている人と、10年1日で生きている人では、前者のほうが年数が短くてもはるかに上にある可能性が高い。先任を敬うのはいいが、盲従は危険である。実力主義の組織としては非常に問題だ。
第二 次室の生活について
十九、お互いに他の立場を考えてやれ。自分の忙しい最中に、仕事のない人が寝ているのを見ると、非難したいような感情が起こるものだが、度量を宏く持ってそれぞれの人の立場に理解と道場を持つことが寛容。
たしかに言っていることは大人だと思うだろう。
しかしながら、本来しなければならない人が仕事をせず、他の人がその肩代わりをしなければならない場合、その人の負荷が増える。ひょっとしたら、その人が本来すべき仕事に手が回らなくなるかもしれない。もし、常に人の仕事を肩代わりしてやれるのだとしたら、もともと仕事が少なすぎて暇なのか、肩代わりする仕事がよほど大したことがないか、ものすごく仕事ができるかのいずれかだ。最後を目指すのはいいが、人の処理能力には限界がある。
大人ぶる暇があったら、まずは本来すべき人が仕事をできるようにするべきだ。トヨタ方式のように、問題が解決するまで仕事を止めてしまってもいいと思う。中途半端に人の仕事を引き受けて、問題を隠蔽し、問題解決を先送りにしてはならない。 本当に手が足りなくなったときに解決しようとしても解決できるわけがない。
 付1 青年将校に対する訓示
二十、功は部下に譲り、部下の過ちを自ら負うは、西郷南洲翁が後進者に教えしところなり。これを人に責めず、かえってこれを己れに求むるは、孫子金玉の言なり。将校たるもの、この心得なかるべからず。
これも耳には非常に心地よい言葉だ。でも本当にそうなのか?
個人的にはこの言葉ほど誤解されているものはないと思う。だいたい、責を負うというのはどういうことなのか?職を辞することか?それとも自決することか?

私の上司にも誤解をしているアホがいるが、そんなんでは何の足しにもならない。責任を負うとは、例えばメーカーであれば約束した期日までに約束した品質のものをきっちり仕上げて、ユーザ様、取引先、協力会社様にご迷惑をお掛けしないことだと思う。もしそれがかなわない場合は、とにかく落としどころをつけて、やりきって見せる。それもできず失敗してしまった場合は、失敗の原因を明らかにして、同じようなことを繰り返さない仕組みを作る。その上で、辞めるなりなんなりするのはかまわないが、そういうことを一切せずに「ただ辞めます」はありえない(逆に最後までしっかりフォローできる人は辞めさせる必要はないが)。

本来この言葉は下記のように読み替えるべきだ。
  • 順調に事が進んでいるときは、上司はしゃしゃり出ずに部下にまかせる(結果として部下の功績になる)
  • 事が不調になったとき、部下だけでは対応できなくなったときは、率先してリーダシップをとりマネジメントをして、正常化させる。最後までフォローしきる。(結果として、上司の責任で事を対処することになる)
しかしながら、実際はこの逆をする上司がどれだけ多いことだろう。
ついでに言えば、簡単に「責任だったら俺がとるわ」といい垂れる人ほど、いざとなると責任逃れと自己正当化に必死になる。うちの部門にいる上司がその典型だ。ただし、本人はその自覚がまったくない。こうなると一種の精神病ではないかと思いたくなる。

話がそれたが、海軍人造り教育に解かれていることを実践するのであれば、それ相応の人事のバックアップは必要と感じた。


最後の一冊「なんとか会社を変えてやろう」は、今の自分の置かれている状況から見て非常に参考になる。
  • 相手の話をよく聞く
  • おかしいと思ったことはおかしいと主張する
  • 課題を明確化する。責任をはっきりさせる。
誰でもできそうに思えるが、人によっては、これくらい難しいものはない。。
以前紹介したLEADERSHIPに書かれていたが、人は一度箱の中に入るとなかなか出てこない。怖くて出てこれないというよりも、自分がその状態にいることをまったく理解していないのでタチがわるい。

ダメ上司、ダメ部下に共通するのは、周囲の人を「人」として見ていないことだ。だから相手の話なんか聞かずに自分の主張しかしないし、上司から言われたことはなにも疑わずに実行しようとし、問題がでるとそれを無視するか隠蔽するかねじ曲げるか、他の弱い立場のモノ(人)に押し付けて平気な顔をする。自分と利害関係を一致する連中さえよければいいので、当然課題なんて明確化しないし、責任はあいまいなほうが好都合だ。

上記3冊の本で感じたことは、結局、組織風土をつくるのは人事制度と教育が根本になるということだ。

(1) 適正な人員配置
   管理ができない人、人を人として見れない人を管理職やそれに相当するキーポジションに配置しない。ましてや人事に関連する職場にはつけてはならない。(実際は類は友を呼ぶで、くだらん人物が人事職について、自分とよく似た、つまらん、有害な人物を引き上げるパターンが多いが)

(2) まともな教育と勉強を続ける環境の形成
理想論ではなく、現実に軸足を置いた教育を行うこと。
管理職や幹部になるほど、たえず試験をする。
うちの会社ではそうことをやっているらしいが、どうも表面的で終わってしまっているようだ。

(3)教育方針に合致した人事制度
  • 自己犠牲を求めるなら、点数制での人事はしない。手間はかかるが、現場で人を見る人事をすること。
  • ここの長所を十分引き出したいなら、引き算型ではなく、足し算型の制度にする。
  • 本当に会社をよくしたいなら、管理職を職能とし、管理ができない人はいつでも担当に戻らせるようにする。一度管理職にしたら、その能力がなかったことが判明しても退職するまで管理職でありつづけるような制度はダメ。
  • リスクに果敢に挑戦させるなら、失敗を否定的な評価にしてはいけない。
  • 組織に活力を持たせたいなら、信賞必罰をしっかりやる。成果がでていないのに賞を与えたり、あきらかに問題がある行動をしているのに罰しないのは、組織のやる気を削ぐ。
  • 問題が発生したときに、問題解決までのコストが少ない制度にする(下の立場のものからの意見が伝わらない、もしくはガチガチに証拠を固めない限り、上に話ができないとかいう場合は、誰も解決をしようしなくなる。

その上で、


(4)自浄能力がある職場を作る。
  • 共通の認識を確認しあえる、気楽に話し合える場をつくる
  • 常に進化・改革することを考えて、行動する。
  • おかしいと思ったことはおかしいと表現できる。
  • 互いに相手の意見を聞きあう余裕がある。
  • 「前向きかつ健全」な喧嘩を推奨する。
ということができるようになるのではないか?

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